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■ まんだらヒーリングガーデン セラピスト 沙羅

キネシオロジスト・レイキマスター・カウンセラーとしてシドニーで活躍している沙羅さんをご紹介します。 私の古くからの友人でもあり、私自身「BMS」を施してもらっています。 さらにはオパールブリスの【クリスタルヒーリング顧問】(?)でもある沙羅さんの特集です。    沙羅さんのホームページ⇒まんだらヒーリングガーデン

≫いつ、オーストラリアに来たのですか? 理由は?

1985年にワーキングホリデーで来たのが最初です。理由は? 簡単にいえば「自分探し」です。もちろん、最初ははっきりとそんな風に考えていたわけではないけど。ただ、海外生活を一度はしてみたいって思っていました。 子供の頃から私の言動は変わっていたらしく、常に「変わっているね」と私は言われて生きてきました。そこには良い意味も悪い意味もあったと思うけど。 外見も日本人離れした顔立ちの父親に似たために100%日本人ぽくなかったので「本当に日本人?何も混じってない?」「ハーフじゃないの?」「お父さんは日本人なの?」と言う質問を特に大人たちから受けました。今でも覚えているのは友人のお母さんが執拗に尋問のように質問してきて…トラウマになっているかもしれない(笑い)。 今はそうでもないけど、子供の頃はちょっとハーフみたいな顔をしていました。でも、それは自分が大人になってから写真を見て気づいたことで、自分が子供の時は「なんでみんなそんなこと聞くの?」って結構神経質になっていた時もありました。私の外見や言動に対しての他人の反応を若い頃の私は長い間ネガティヴに受け取っていたので、私の中に「疎外感」と「私って変なの?何か違うの?」という疑問のようなものを持たせる大きな要因の一つになったのだと思います。 高校卒業後、病院で働いていた18か19歳のある日、何かの雑誌に西洋人女性の記事が載っていて彼女の日本や日本人に対する考え方が私のいつも「変わっている」といわれる考えと同じだったのに感激し、「海外に行ってみたい!」という気持ちが募っていったのだと思います。 精神的に成長していなかったので社会の本音建前のルールに上手く乗れずにはみ出してしまっていたから、とも言えるかもしれないですけどね(笑い)

それで自分探しのほうはどうなりましたか?

見つけました。時間が掛かりましたけどね。来た当時、日本人であるからとか英語が上手く話せないからという時に受けた差別的な態度とか、言葉の壁の為、日本ではしないような失敗や問題に出会い、いろいろなことを考えさせられました。日本人であること、日本の歴史とか、日本にいる時には考えもしなかったことです。日本の歴代将軍の政策の違いの話をしたオージーに会った時は何も知らない私は恥ずかしかった。私の言えることって「徳川家康の故郷は岡崎で、私はそこから来ました」ぐらいだったもの(笑い) そうそう、自分探しね。日本にいた時、私は「はっきりしている人」というイメージがあったのに、ここに来た当時はオージーから「どっちなの?はっきりして」と言われたりして「NOが言えない日本人」の自分を見つけました。自分はやはり日本人なのだなって良く思いました。 中近東とかアジアに旅に出たときもそうですが、人間って今まで慣れきった環境から違う環境に行くことで自分の弱点みたいなものを発見できるなって思いました。 自分の知らなかった自分の内向性や決断力の無さ、コンプレックスとか…。

そうですよね。反対に「私って結構しぶとい奴なのだ」って気付いたりして…(笑い) ヒーリングの仕事はどのようなきかっけがあったのですか? 日本にいた時は病院勤務、血のにおいが耐えられなくて看護婦になれなかったと聞いていますが。  

もともとは病院の事務で入りました。病院に勤めようと思ったのも「病気の人たちの役に立つために」な〜んてかっこいい動機ではなく、病院の診療時間に惹かれて…。 「木曜、土曜午後、日曜祭日休診!それに12時〜2時昼休み。休みがたくさん!」って。実際は外来が休診というだけで、仕事はたくさんありました(笑い) 同期の看護婦見習の子に刺激されて看護婦にと一時は思ったけれど、オペ室の血のにおいやパカッと大きく開いた傷口を見ることが出来ないから「無理ね…」って(笑い)。 その時の整形外科の院長がその代わりに「医療秘書学院」ってところに行ったらどうかって勧めてくれて、そこで解剖生理とか学んでその頃から人間の身体の仕組みに興味を持ちました。

今のヒーリングの仕事はどのようなことがきっかけだったのですか?

シドニーに来た初期の頃、多国籍ヒッピーたちと一緒にクリスタルのアクセサリーを作ってマーケットで売っていました。彼らから超自然現象、瞑想、ヨガなどいろいろ刺激を受けました。その頃にクリスタルヒーリングやチャクラの仕組み、レイキなどを学び、少しずつヒーリングの道に入っていきました。ヒーラーになろうとしてなったのではなく、自分にヒーリングが必要だったのであれこれ自分を治すために学んでいるうちに治療をする方になっていた(笑い) 10代、20代前半の私の身体は煙草、アルコール、ジャンクフードでボロボロ、肝臓は血液検査でもかなり悪い値が出ていました。22才の時によ!他の臓器もかなりダメージを受けていたし…。感受性が強すぎで感情の起伏が激しく、親や恋人との間でよく問題を起こしていたしね、心と身体のバランスがかなり悪かった。 自分の身体を考える、自分の食べるものを考える、自分の生活態度を考えるっていうこと、そのプロセスは最終的には「自分は一体何物なのだ?!」ってところに突き当たります。 身体のバランスというのは心のバランスなのだということを学びました。自己嫌悪、反省、自分に対するコンプレックス、偏見、被害妄想…いろんな考え、いろんな感情がたくさん出てきて、本当にいろんな角度から自分を見つめました。 自分を見つけてからは他人のイメージや期待に合わせて生きていくのではなく、自分を裏切らずに上手く付き合っていくことを中心に考えて生きるようにしています。そうすると人間関係での問題がほとんど無くなりました。もちろん、まだまだ私も修行中の身ですが。 「あのボロボロの私でもこんなに変わることが出来るのだから…みんなも変えたければ変えられるよ!」って同じように肉体や精神のバランスで困っている人たちに自分のしてきたことを教えたいって気持ちが強いのです。それで気づいたら治療をする方になっていた。(笑い) 真面目な話、一人一人が自分のバランスを取ったら、世の中変わるよ。もっとみんな穏やかになる。他人を傷つけたりする人もいなくなるはず、他人を傷つけるのは自分の中に「不安」や「恐怖」があるからなのだもの。そして怖いのは本人自身がそれを知らずに他人を傷つけることを正当化すること。怒り、妬み、恨みみたいなものも全て自分のコンプレックスから出てくるのだから。自分に気付き、自分らしく生きることを実践していけば他人に害を与えるようなコンプレックスも無くなっていくしね。 世の中の問題って被害者意識や誇大妄想、偏見みたいなものから成り立っているでしょう? これって今のアメリカのテロリストに対する態度に出ていません?

プロフィール   

1962年名古屋生まれ。高校卒業後6年間病院勤務後、1985年渡豪。東洋と西洋の自然療法でと身体の不調を整えるセラピストへ。1994年クリニックをオープン。定期的にシドニーと日本でセラピストよ養成の講習などを行っている。 まんだらヒーリングガーデン・沙羅さんの事をもっと詳しく知りたい!!! ⇒  沙羅さんホームページ

 

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